西浦和幼稚園 40th Anniversary

祝 辞 父母の会会長より

  • 上曽 由紀江様
  • 一本 俊子様
  • 千葉 カネ子様
  • 豊島 幸子様
  • 大畑 純子様
  • 藤井 陽子様

父母の会会長より

「創立40周年を迎えて」

平成18年度会長 上曽 由紀江

西浦和幼稚園が創立40周年を迎えられたことをお慶び申し上げます。この節目の年に父母の会の会長という任にめぐりあえたことを大変光栄に思います。
40分の6。我が家の子どもたちが西浦和幼稚園の歴史の中で過ごした歳月です。長男が幼稚園に入る際に幼稚園選びの基準としたことは、子どもが子どもらしく遊び・騒ぎ・汚れていること。さらに、そういう子どもの感性を大事に育み、先生方の目が行き届くところ。これが大きなポイントでした。実際に色々な幼稚園を巡りましたが、西浦和幼稚園を見学した時の子どもたちの目の輝きやエネルギーの大きさが大変印象的でした。
どの親にとっても、わが子はかけがえのないほど愛らしい存在です。その子たちがどのような花を咲かせ、実をつけるのか想像もつきません。子どもが子どもらしく過ごせる時期は、その果実にとっても重要な熟成期間ともいえるのではないでしょうか。そしてこの40分の6年の歳月でわかったことは、子どもには子どもなりの人格・個性・能力があるということです。それは大人と比べられるものではなく、時には我々大人も足元にさえ及ばない能力や感性を見せつけたりします。一人前の人格を持ち、優れた可能性を秘めているにも関わらず、もしかするとそれを壊すのも我々大人かもしれません。決して親の私物にしてはいけないような気がします。人格形成が社会問題となり、溢れんばかりの情報の波に呑み込まれていく現代。子どもたちの生活も大人並みにせわしない時の流れに晒されています。いまこそあらためてこの流れを見極め、子どもが子どもらしく過ごせる時間がとても大切なものとなってきています。
これから50周年、60周年を迎えるであろう西浦和幼稚園。幼稚園としての規模は大きくなくていい。けれどもその中にいる子どもたちの好奇心やエネルギーは、いつまでも大きく輝いているものであってほしい。
そして、子どもたちを人間としてじっくりと育んでいってほしいと願っております。

歴代父母の会会長より

「父母の会の思い出」

昭和50年度会長 一本 俊子

西浦和幼稚園 40周年おめでとうございます。
私の子どもたちは、昭和46年度に娘が、50年度に息子が卒園させていただきました。当時の幼稚園の周囲は、田や畑で蛙やバッタがいっぱいいました。道はじゃり道でした。
月に一回開かれる父母の会の定例会では、話に花が咲き、時間オーバーは毎度のことでしたが、無駄に思えるそうした時間の中で、役員は知識や考えを共有し合い、結びつきを強めていきました。
当時行われていた他園の役員との勉強会では、他の園の会長さん方の博識振りにボーとなり、必死で耳をかたむけ、各幼稚園主催の講演会では、会場に当時の埼玉銀行の2階会議室をお借りして他園の方々を迎え、役員の方々に助けられて無事主催当番を務め終えた時のあの冷や汗。
今年のバザーは何か目新しい事をと、浅草橋のおもちゃ問屋に買出しに行き、両手に大きな荷物をぶらさげたお互いの姿にふきだして、足が進まなかったこと。
遠足のつきそいで子どもたちより先にバスに酔い、小さな手にいたわられたり、暮れのもちつき大会では、かまどの火がなかなか燃えなくて困った事等々、次から次へと思い出されます。
幼稚園にとってお役に立ったかどうかは別問題にして、懐かしい思い出をいっぱい作っていただきました。
寒さに鼻を赤くした子、暑さに帽子の下から汗をしたたらせた子、西浦和幼稚園では、どの子もきらきらと輝いていたように思います。この子どもたちと共に過ごせたことを感謝しています。
亡き熊谷弘園長先生の遺志を継ぎ、園長先生になられた万里子先生、古橋先生、諸先生方、どうかいつまでもお元気で子どもたちを見守ってやってくださいませ。
そして西浦和幼稚園の、今後ますますのご発展を心からお祈りいたしております。

「思い出の記」

昭和54年度会長 千葉 カネ子

西浦和幼稚園が40周年迎えられ誠におめでとうございます。あれからもう40年も経ったんですね。
私のところは3人の子どもがお世話になり、その子どもたちもそれぞれに成長し、親を圧倒するばかりになって自立していきました。
西浦和幼稚園を、開園当初から知っているので、思い出はたくさんあります。年毎に変貌する園のまわりも、40年前は民家は数えるくらい、あとは田園と畑。5月には吹流しをつけた自作のこいのぼりを、7月には笹につけたやはり自作の七夕飾りを、自慢気にかかげ、じゃり道を帰園する園児の姿は、今とは違いとてものどかな光景でした。
2人の娘の頃は、私立幼稚園園児への助成金というものがあったかないかも知りませんでしたが、昭和54年会長をお引き受けした年、自民党本部まで、首都圏の幼稚園連合会が各園の代表者を陳情団として、補助金の存続、値上げ陳情に行きました。そのかいあって値上げされたと聞いた時、また、手にした時、団結の偉大さを感じたものでした。
西浦和幼稚園の“遊びの中で育つ幼児教育”方針、私はとても好きでした。子どもを伸び伸びと育てたかったからです。息子は少しくらいの雨などなんのその、園の裏側に手で丸めると大変固くなる土があるとかで、まんまるく丸めては鋼鉄団子と称して、持ち帰っては大事にし、一つの宝物としていたのも懐かしく思い出されます。もう一つ思ったことは、どの先生方も家庭ではできないあたたかい言葉で、あたたかい手で保育をしてくださっているんだなあってことがうかがわれた事でした。
当時の先生方で知っているのは、今では万里子園長先生と古橋先生のみですが、他の先生方も所々にあってはご活躍のことと存じますが、私と同じ気持ちで、このおめでたい40周年をお祝いのことと存じます。
西浦和幼稚園の一層のご発展と先生方のご健康を心よりお祈り申し上げます。

「父母の会の思い出」

昭和59年度会長 豊島 幸子

創立40周年おめでとうございます。1985年度の父母の会の役員をさせて頂いてから、早いもので21年も経とうとしております。年度途中で会長の交代というハプニングもありましたが、それがかえって役員同士の結束を固めたように思います。
遠足、運動会、お泊り保育、バザー、お餅つき・・・等々、お手伝いというよりは、子どもたちと一緒に楽しませていただきました。特に最大の行事だったバザーは、即売品の準備にお互いに教えあいながら、一つひとつ手作りを楽しみました。母親が10人も集まれば、料理自慢の人、手芸の得意な人、といろいろいて頼もしい限りです。その延長で、バザーの後も時々集まって手芸教室を開き、楽しい時間を過ごしました。おしゃべりの方が目的だったのかもしれませんが・・・。
卒園後、子どもたちは3つの小学校に分かれましたが、母親達の交流は長く続いています。人と人との素晴らしい出会い・・・園からの最大の贈り物だと思っております。
卒園してから園長先生も代わられ、その他、園バス、通園かばん、色々変わりました。でも変わらないもの、それは「のびのびした子どもたち」という園の方針。そして熱心に保育に打ち込む先生と、いつでもどこでもはじけるような子どもたちの笑顔・・・です。
西浦和幼稚園の益々のご発展と先生方のご健康をお祈りいたします。

「父母の会の思い出」

平成6年度会長 大畑 純子

子どもと一緒に毎日通った西浦和幼稚園。あれから早いもので13年・・・。ついこの間のような気もしますし、そんなに経ったのかと懐かしく思い出されます。姉2人を卒園させ、3人目の長男が入園。連続6年間お世話になった最後の年に役員をお引き受けし、会長という大役を務めることになりました。
無我夢中の1年間。一つひとつの行事が走馬燈のように思い出されます。一大イベントのバザーでは、手作りコーナーの手芸品を皆で手分けして縫い上げました。お手伝いのお母様方の負担を少しでも減らそうと、いろいろ試みたこともありました。何事に関しても皆で知恵を絞り、話し合い、先生方と一体となって行事のお手伝いをさせていただきました。役員の方々に支えられたお陰で、楽しい思い出がたくさん残りました。
そして何よりも今、その素敵な仲間との出会いの場を与えていただき、その友情の輪をずっと大切にしてこられたことを感謝しております。故園長先生にも大変お世話になりました。一人ひとりの個性を尊重し、のびのび保育を実践なさっている姿は、とても好感が持てました。
大地から小さな芽が芽吹き、やがて大きな樹となり、成長していきますよう、これからも子供たちの成長を見守っていきたいと思います。 最後になりましたが、開園40周年という新たな門出の年を迎えられ、今後益々、西浦和幼稚園が発展されますよう、心よりお祈り申し上げます。

「感謝」

平成12年度会長 藤井陽子

我が家のリビングには、3人の子どもたちの笑い声が弾みます。大学3年、大学1年、中学2年の3人は皆、西浦和幼稚園卒園生。のびのび保育のおかげで、3人ともとても感性豊です。好きな事に全力で打ち込める素直さは脱帽もの。その素直さを育て、伸ばして下さった幼稚園に感謝です。
3人とも皆2年保育でお世話になり、最後の子の2年間は、母の私まで役員をさせていただき、園に育てていただきました。大感謝です。
一つひとつの行事に精一杯取り組み、園の子どもたちと四季の移り変わりを共に過ごせた2年間に、園を離れてなお、その素晴らしさ、経験させていただいた事への感謝の思いが深まってきます。
親睦会の“紅茶の入れ方教室”、パソコン導入による父母の会運営、文集『芽』の発刊、園の体育館最後の謝恩会、初めての園外でのお別れ会、講堂の完成。どれをとってもかけがえのない素晴らしい経験です。
前向きに皆で力を合わせ、一所懸命最後までやり遂げる事の大切さ。そして、何事も勇気を出すところから始まると実感しました。
手探りで始めた物の一つひとつが、皆の力で形になった時のうれしさ、その喜び全てに今なお感謝です。お世話になった西浦和幼稚園の益々の発展に、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。幼稚園から親子ともども、たくさんのエネルギーをいただくことができました。私もわが子とともに成長し続けていきたいと、思いを深めるこの頃です。
最後に、この記念誌に参加させて頂きまして、ありがとうございました。希望を失わない勇気の心をいつも持ち続け、生きていきたいと願いながら・・・。40周年、本当におめでとうございます。