西浦和幼稚園 40th Anniversary

祝 辞 旧職員より

  • 吉野 徳子
  • 小西 美由紀
  • 青山 節子
  • 菊池 朋子
  • 安藤 かおり
  • 中山 麻紀
  • 片倉 綾子

「西浦和幼稚園の思い出」

昭和45~46年在職
吉野 徳子

開園40周年おめでとうございます。教育環境が大きく変化したこの時代に、40周年をお迎えできましたことに、心よりお祝い申し上げます。
昭和45年から昭和50年頃を思いおこしてみますと、一番印象に残ったことは、入園希望の保護者の方々が入園願書配布日の前日から列を作り、一時は新聞社のヘリコプターが幼稚園の撮影にこられたことを、今でもはっきりと記憶に残っております。入園希望者の多かったこの時期を象徴するかのように、広い園庭も狭く感じ1クラス40名程度の7クラスの園児たちが元気に走り回っていました。
とても懐かしく思い出すのは幼稚園の周りの風景です。当時は田んぼや畑に囲まれ四季折々の作物、稲のみのりをながめ、小さな昆虫や動植物の変化にビックリしたり、触れて大騒ぎしたり、お天気の良い日は先生が大きな麦茶の入ったやかんをさげお弁当をもって土手までの園外保育、そして園児たちの楽しみはダンボールをそりにして滑り降りたり土手を転げ落ちたりと生き生きとした笑顔が思い出されます。
又、当時は一斉保育から自由保育、知育教育への転換期であったと思います。とりわけ故熊谷弘園長先生は、園児たちための理想的な幼稚園作りに日夜奮闘していらっしゃいました。その姿を拝見し、私たち教師一同明日への元気を頂いておりました。
現在もご活躍されていらっしゃいます古橋先生とは同期でありますが、人生の先輩としていつも暖かいお心で見守って戴きました。このことを心のささえとして現在百十名の塾生と共に高校受験に向けて共に頑張っております。
最後になりましたが、今後とも西浦和幼稚園が50年、100年と年輪を重ねて行けますよう心より祈念致して居ります。

「にんじん組の思い出」

昭和55~58年在職
小西 美由紀(旧姓:内田)

 充実感いっぱいの毎日から、早20年以上もの歳月が流れたのに、子供たちと遊んだこと、笑いあったことがつい昨日のように思い出されます。
砂場遊び、お店屋さんごっこ、鋼鉄団子づくり、鬼ごっこ、柳川先生との絵画、秋ヶ瀬の土手への小遠足。
そして、新任の私と年中の子どもたちが初めて経験するお遊戯会ーーあぁ、本番1週間前の予行演習は惨憺たるものでした!私だけが舞台をかけずり回り、子どもたちはぼーっとしたり、ふざけたり。青ざめる先生方・・・。お帰りの時、私は不安のあまり、不覚にも子どもたちの前で涙をこぼしてしまいました。
その時 「先生!アイたちが悪かった。明日からちゃんと練習するよ」と思いもよらぬ声が。他の子供たちもいつもと違う私の顔を心配そうに見ながら、うんうんとうなずいています。私は胸が熱くなり、子供たちひとりひとりを抱きしめました。
次の日から子供たちは真剣に練習に取り組み始め、ふざけている子がいると注意しあったり・・・。そして迎えた本番当日は、見事に私の手助けを必要とせず、子供たちだけで劇を進め、元気に歌も歌い、ご両親たちから万雷の拍手喝采を浴びたのです。その時の子供たちの晴れやかで恥ずかしそうな、でも自信に満ちた顔。私は自分の指導力のなさを不甲斐なく思いながらも、ひとつ階段を上れたことを実感し、子供たちとともに創造する喜びをかみしめていました。
その後の私は、お遊戯会などの行事には、子供たちが自主的に取り組めるよう配慮することに心を注ぎました。根底にあるのは子供たちとの信頼関係、一緒に楽しもうとする意気込みなんだなあ、と思います。
楽しい経験を与えてくれた子供たちと温かく見守ってくださった先生方に改めて感謝します。ここでの4年間は私の宝物です。

「大切な場所」

昭和57~平成元年在職
青山 節子(旧姓:大槻)

開園40周年おめでとうございます。私にとっての西浦和幼稚園は、小さい頃からの「幼稚園の先生になりたい」という夢をかなえてくれた場所であり、今は亡き熊谷弘園長先生、古橋先生をはじめ諸先生方、ご父兄の方々、そして出会ったすべての子供たちに保育者として、また人として成長させてもらった大切な場所です。在職した8年間の思い出をひもといてみますと、「ゆみちゃんとの出会い」「まぁ君の2階からおしっこ」「ゆっちゃん かず君 みかちゃん たかお君・・・幼稚園いやいや」「のり君のキンチョール噴射!みみずでおままごと」「正義の味方ごう君、あっ君と基地作り」「じゅんちゃん、まりちゃん、ゆかちゃん・・・たくさんの先生だーいすき!」「チューリップを手にのり君からのありがとう」・・・私の宝物は語り尽くせません。
そしてもう1つ、西浦和幼稚園といえば、クラスの名前が野菜ということです。園長先生から「野菜の好きな子どもになって欲しいという願いから」と伺い、とても嬉しく私の自慢でした。新任研修で学生の頃の仲間と顔をあわせ、皆口々に「私、さくら組!」「私、もも組!」と喜び合う中、ちょっとはずかしながらも胸を張って「私、かぶぐみ!」と言って仲間の反応を見るのが楽しかったです。クラスの野菜の名前に愛着を持ち、クラスみんなで畑でその野菜を育て、食べてはその野菜のパワーを身体に感じる・・・そんな所も大好きでした。勉強、発見、感動の8年間を西浦和幼稚園にいただきました。
そして今、かなえさせてもらった夢は続行中、2人の娘の母となり、この手で我が子を育てる楽しさと喜びの日々を過ごしています。
私の大切な場所、西浦和幼稚園が、これからもずっと、素敵な先生と元気な子どもたちの笑い声が絶えない場所であって欲しいと願っています。

「西浦和幼稚園の思い出」

昭和62~平成7年在職
菊池 朋子(旧姓:原口)

 西浦和幼稚園の特色といえば、遊びを中心とした保育です。大学を卒業してすぐ保育士になった私は、学校の教科書で学んで来た事より、実際の生活の中で学んだ事のほうがはるかに多かったと思います。子どもたちとの毎日は、ワクワクし、楽しいものでした。特に西浦和幼稚園の子どもたちも先生も、生き生きしていて、自分のやりたい事をしっかり持てていた気がします。
そして、私がこの園ですごく楽しいと思った西浦和幼稚園ならではの、ダイナミックな活動がありました。絵の具のぬたくり、ボディーペインティング、ぐちゃぐちゃ遊びなどです。年中、少組には絵を描く前の、とても大事な遊びでした。始めは、おそるおそるの子どもたちですが、どろどろの絵の具で手型を押してみたり、色を混ぜたり、ぬるぬるの感触を楽しみます。また、ボディーペインティングでは、思いっきり活動しようという目標のもと、汚れてもいい服装でおこないます。先生手作りのひんやり冷たい糊絵の具を手でのばし、模様を描いたり、体につけたりし、調子が出てくると、友だちの背中にペタッ。先生のおしりにペタッ。汚れたくない子、クラスになじめずにいた子、なかなか心を開いてくれなかった子も、この活動の中でとてもいい笑顔を見せてくれた事を覚えています。
この他に、濃い絵の具を使って、スイカやパイナップル、とうもろこしなど、身近にある物をじっくり見て描きおまけに食べちゃう、たのしみもありました。一年を通じて、いろいろな絵画制作をしてきた事も、すばらしい事だと思います。
あっという間に過ぎる一年の中で、行事を生かし遊びにとり入れ、子どもたちが家では経験できないような、ワクワクする生活ができるよう取り組んでいたように思います。初めて経験する集団生活を、ダイナミックで、かつのびのびと過ごし、たてのつながりを大切にするこの西浦和幼稚園で、保育に携わる事ができた事を嬉しく思います。
開園40周年おめでとうございます。

「幼稚園の思い出」

平成5~9年在職
安藤 かおり(旧姓:石井)

西浦和幼稚園創立40周年おめでとうございます。
私は、平成5年から5年間西浦和幼稚園で教諭をさせて頂いておりました。初年度、新人の私は年少児を受け持ちました。毎朝お部屋の前のベランダ(廊下)に笑顔で「先生、おはよう!」と走ってくる子。必ず草花などを摘んできて「ハイ!」と渡してくれる子。おうちの人にしがみついて泣いている子。など様々でしたが、まだ小さく可愛らしい子どもたちの姿、今でも鮮明に心に残っています。
幼稚園では、週1回「朝の体操」があり、私はその中の『子どもたちが担任を追いかける!』所が大好きで、毎週とても楽しみにしていました。マイクを持った先生が、「たまねぎ組さ~ん、石井先生を追いかけてつかまえてくださ~い。頑張れ~!」と言うとクラスの子どもたちが嬉しそうに、けれどもとても一生懸命に走って私を追いかけてきます。その姿がとても可愛く、つかまえた後も絶対に離そうとしないで「ギュッ!!」と笑顔で掴んでくれていて、先生をやっていて良かったなぁ~と。幸せに思う一つの場面でもありました。
今私は、小1(女児)と3ヶ月(男児)の2人の子の親で、今も育児に奮闘中?!ですが、西浦和幼稚園の子どもたちのように、いつも笑顔の絶えない子どもになって欲しいと願っています。
最後になりましたが、西浦和幼稚園の益々のご発展をお祈りいたします。

「思い出」

平成5~11年在職
中山 麻紀

西浦和幼稚園40周年おめでとうございます。
1993年4月より7年間、西浦和幼稚園に在職させていただきました。毎日お子さんから元気をもらい、私自身がお子さんと共に成長できた7年間でした。楽しい思い出の中から、かわいらしいエピソードをいくつかご紹介させていただきます。

「子ブタのぶーちゃん」
年中組から入園してきたS君。入園当初、毎朝元気よく幼稚園にきてくれていたのですが、実は一つだけ秘密がありました。通園かばんの中にチャックが閉まらないくらい大きな「子ブタのぬいぐるみ ぶーちゃん」を毎日連れてきていたのです。S君に聞いてみると「ぶーちゃんも幼稚園に行きたいっていうから・・・」とのこと。かばんから出すことはありませんでしたが、私にこっそりぶーちゃんを見せてくれることが日課になっていました。初めての集団生活、お母様から離れるなどたくさんの不安があったのでしょうね。新しい環境を受け入れようとしているS君に心の中で「頑張れー!!」と応援していたのを覚えています。しばらくはぶーちゃんと共に通園してきていましたが、ある日を境に空のかばんで通園してこられるようになりました。園生活の第一歩、小さな壁を越えられることができたS君でした。

「大きな古時計」
お帰りのお集まりの時間のことです。「大きな古時計」を唄っていると、T君がポツリと一言「僕、この歌唄うと涙が出てくるんだよ」とズボンのポケットからハンカチを取り出して、涙を拭いていたのです。ポカーンとするお子さんもいれば、「私もー」というお子さんも反応は様々。私自身もびっくりするやら嬉しいやら・・・このことがきっかけになり、その年のお遊戯会の歌を「大きな古時計」にしました。その後、平井堅で大ブレイクした「大きな古時計」懐かしく思い出したのを覚えています。そんなT君も今は中学生です。その頃の事を覚えているのでしょうか????

「のりべん」
年少組での楽しいお弁当の時間。Mちゃんのお弁当は初めての「のりべん」でした。
一度にフォークを使って取り出そうとしたり、手ではがそうとしたりと悪戦苦闘しています。最後には「おにぎりがつぶれて食べられないよー」と泣き出してしまいました。
はじめは何をしているのかわかりませんでしたが、なるほど!のりべんをおにぎりと間違えていたのですね・・・。泣きながら、のりべんを食べるMちゃんの横でほほえましく思ってしまうのでした。

「いないいないばあ」
S君が幼稚園のうさぎ小屋で、なにやらうさぎに話しかけています。よく見ているとうさぎさんに「いないいないばあ」をしているのです。まだまだあどけなさの残るS君でしたが、少し前におうちで赤ちゃんが産まれ、お兄さんになったのです。お母様に伺ったところ、赤ちゃんが最近「いないいないばあ」をすると笑うようになったとのことでした。うさぎさんは笑ったかどうか?はわかりませんが、S君には笑って見えたのではないでしょうか?

「思い出のアルバム」
最後に私の恥ずかしいエピソードです。卒園式では毎年「思い出のアルバム」を唄います。間近になると、保護者の方だけで卒園式の練習をし、その時に「思い出のアルバム」も唄います。私にとって苦しい瞬間。なぜかと言うともらい泣きしそうになるからです。練習の時、すでに保護者の方々からすすり泣く声が聞こえてきます。保護者の方へ向けて「お子さんの晴れ舞台です。泣かずに頑張って唄ってあげてくださいね」とはいうものの自分自身にも言い聞かせていました。お子さんたちが楽しみにしている小学1年生、笑顔で見送ってあげたいと思う気持ちと裏腹に必死に耐える私がいました。今だから言えることですね。

日々の幼稚園生活の中では、ご紹介させていただいたようなお子さんの自然の姿をたくさんみることができました。入園から卒園までの2・3年の間に一人ひとりがたくましく、自信を持って生活できるようになる姿を身近に感じられることができ、喜びや学びの多い時間でもありました。
園長先生をはじめ、諸先生方、職員室の方、バックアップしていただきました保護者の方々には大変感謝しております。西浦和幼稚園に通うお子さんが元気でたくさんの経験をし、たくさんの引き出しを持ったお子さんになることを願っております。

「在職中の思い出」

平成10~17年在職
片倉 綾子(旧姓:安斎)

40周年おめでとうございます。
私は、西浦和幼稚園で、幼稚園教諭として、一番充実した時を過ごさせて頂いたと思います。
園長先生には、たくさんの研究会や講演会に行かせて頂き、そしてかつて旧浦和市私立幼稚園協会の主任会会長として大活躍されていた古橋先生と一緒にお仕事させて頂き、私は本当にたくさんのことを学ばせて頂きました。
保護者の方には見えない所で、先生たちは勉強していました。特に反省会などはどこの幼稚園にも負けない深いものだったと思います。行事の反省はもちろん、学期毎に、学年としてどうだったか、個人としてどうだったか、話し合いました。自分の保育を他の先生たちに見てもらう園内研修もありました。私も、“自分の保育を振り返る”それが保育の基本だと思うので、とても貴重な時間だったと思います。反省が次に生かされていく、西浦和幼稚園の目指していた保育は、高いものだったと思います。
また、私が好きだったのは、柳川先生の絵画指導でした。押し付けでなく、子どもたちの中から出てくるものを引き出して、いつのまにか素敵な作品ができている。いつもすばらしいなぁと思っていました。
英語や体操の時間も子どもたちにとって楽しかったのは表情を見ればわかります。日々の保育もそうですが、運動会や遠足、お遊戯会、いろいろな行事も楽しく、そしてそのなかでいろいろな育ちがありました。それが、また保育のおもしろさでもありました。
西浦和幼稚園は、子どもも先生も育つすてきな幼稚園だったと思います。
今、一緒に過ごした子どもたちの顔と先生たちの姿が浮かんできます。お正月に、給食が大嫌いで大変だったY君から“今年は中学生になります。幼稚園時代がなつかしいです”という毛筆の年賀状が届きました。とても懐かしく、成長したY君にぜひ会いたいなと思いました。みんな大きくなって、それぞれの道を歩いていくんだな。幼稚園のいろんな思い出を忘れずに頑張ってほしいです。
これからも西浦和幼稚園のますますの発展をお祈りしています。